化学物質過敏症がきっかけで生まれた育爪

はじめまして
育爪スタイリスト(イクヅメスタイリスト)の嶋田 美津惠(しまだ みつえ)です。 私が初めて大阪にネイルサロン「ラメリック」を開業したのは1993年。開業前1年間の勤務ネイリスト時代も含めると、約30年間爪にまつわるお仕事をしています。その間『女は爪で美人になる』と『育爪のススメ』の2冊の本を出版。 現在は、素の爪を育てる専門家、ネイルケアのスペシャリストとして、大阪・東京の育爪サロンと、育爪オイルオンラインショップを経営。また、カルチャーセンターでの育爪講師や育爪スタイリスト養成など、精力的に活動しています。
爪の形は変えられる!?
化学物質過敏症

今でこそ、ネイルカラーなどの爪を飾るサービスは提供していませんが、ラメリックの初めの10年間は「付け爪なしで爪の形が変わる」というコンセプトのもと、ネイルカラーもしていました。細かい作業が好きだった私は、お客様の爪がキレイになっていくのがうれしくて、ネイルカラーをする時間も長くなっていきました。
しかし、開業から10年が経ったころ、突然それまで使っていた化粧品がヒリヒリしたり、化学繊維の服でかゆみが出たりするようになりました。病院で検査を受けても原因不明のまま症状はひどくなるばかり。あげくの果てには、頭痛、めまい、息苦しさまで起こり始めたのです。そんなある日、お客様から教えてもらった病院へ行くと、「化学反応過敏症」であることが判明。聞いたこともない病名でしたが、あとから思えばその原因は明白でした。 ネイルカラー、ベースコート、トップコートに入っていた有機溶剤――合成樹脂を液状に溶かすための成分ですが、それを毎日長時間に渡って吸い続けることで、体はむしばまれ辛い症状を引き起こしていたのです。
ひらめき、そして別れ

その後も粘膜から出血したり視神経が麻痺したり、症状はひどくなる一方。医師からは病気がさらに進むと免疫機能が低下するということを告げられ、死を覚悟して仕事を続けるかどうか、決断に迫られました。 健康を失った私に選択肢はありません。 お風呂に入っていると自然と涙が出てきました。 「今まで積み上げてきた技術を捨て、お客様とお別れしなければならないのがこんなにも辛いんだ」そう自覚すればするほど大量の涙がポロポロ、ポロポロ……。
結局4日間泣き明かしました。すると突然「ひらめき」が降ってきたのです。 「先のことは考えず、カラーリングを辞めてお手入れだけを続けてみよう」。 それからは、すべてのお客様に電話をしてお詫びしました。ネイルカラーやコート剤を使えない体になってしまったこと、強力な換気設備なしで施術を続けてきたこと、今後は爪のお手入れだけにさせていただくこと。その後しばらくして、カラーを目的としたお客様は去り、お手入れだけでもよいと言ってくださるお客様だけが残りました。
育爪の誕生

ある時、私自身の爪も縦すじ、くすみ、乾燥爪、二枚爪など、カラーやベースコートをしていたときにあったトラブルがすっかり消えていることに気づきました。弾力とツヤがあり、白い部分が透明な自爪クリアネイルに生まれ変わっていたのです。
- 低温で圧搾した100%植物性オイルを使う
- 爪の裏からオイルを塗る
- 爪切りでなく紙製の爪やすりを使う
- 手袋をつけて作業をする
- 爪を当てない指の使い方をする
植物性のオイルを選んだ理由

育爪にとって最も重要なオイル。開業当初は動物性のものも使っていましたが、植物性に変えたのもまた化学物質過敏症になったのがきっかけです。症状がひどい時には、駅ビルや電車の中に漂う化粧品や芳香剤、建築現場の近くに舞う塗料や接着剤に含まれる化学物質で息苦しさをおぼえるようになりました。そんな時に助けられたのが公園や道ばたの緑。木の茂みに避難してしばらくすると、呼吸はすーっと楽になりました。 「空気をキレイにしてくれる木や緑をもっと増やしたい」 そんな思いが湧きあがりオイルも植物性にしようと決めたのです。