化学物質過敏症がきっかけで生まれた育爪

嶋田美津惠 育爪スタイリスト

はじめまして

はじめまして、育爪(いくづめ)の嶋田 美津惠(しまだ みつえ)です。
私が初めて大阪にネイルサロン「ラメリック」を開業したのは、今から31年前の 1993年のことでした。
開業前の 1年間の勤務ネイリスト時代も含めると、2024年現在で爪のお仕事を32年間しています。
現在は、素のままで美しい爪を育てる育爪セラピストとして、大阪と東京で育爪サロンを経営し、育爪オイルの企画・販売、育爪セラピストの養成をしています。
これまでに、『女は爪で美人になる』と『育爪のススメ』の2冊の本を出版しました。
スッキリ(2020年8月)、あさイチ(2018年10月、2019年3月)、ノンストップ(2017年1月)、ちちんぷいぷい(2019年3月)、バゲット(2020年12月、2021年2月)など、テレビで育爪が取り上げられることも増えてきました。
近年、すっぴんの爪を育てることへの関心がますます高まっていることを感じています。

育爪(ikuzume)とは

素爪クリアネイル 先端が透明なすっぴん爪

育爪(いくづめ、ikuzume)とは、すっぴんの爪を健康でキレイに育てることです。育爪を逆から読んで、爪育(つめいく)とよんだりもします。
爪はお肌と一緒で、適切に健康管理された状態であれば、コート剤で保護したり、色を塗ったり、ジェルネイルやスカルプチュアで形を変えたり、デコレーションで飾ったりしなくても、すっぴんのままで十分に美しいんです。
自爪(じづめ)、地爪(ぢづめ)、生の爪、裸の爪、素の爪、すっぴん爪など、呼び方はいろいろありますが、自分の爪そのものが健康であれば、手の爪でも足の爪でも、色は血行の良さからピンク色に、形は緩やかなアーチを描いた立体的な形に、表面は自然なつやで光を反射して優しく輝き、しっとり潤ったみずみずしい指先になります。
育爪は、素の爪のままで、栄養が爪先まで行き届いた、健康で美しい爪をお客様と一緒に育てていきます。

爪の形は変えることができた

私が 27歳のとき、ふとしたきっかけで知人のために、ネイルスクールに行くことになりました。
私はそれまでネイルに全く興味を持っていなかったので、爪切りで白い部分を全て切っていて、かなりの深爪でした。
スクールに通うためには爪を伸ばす必要があると言われ、今まで伸ばしたことのない爪を泣く泣く伸ばすことになりました。
それまでは、爪を伸ばしたらゴミが入って気持ちが悪いとか、とても不衛生だと思い、爪を伸ばしたくなかったのです。
それと、爪が伸びると先が広がった扇形になるのが嫌いで、常に短く切っていました。
爪が長くなったので折れないように指先を使っていると、いつの間にか指と爪の間がくっつき、深爪だった指が変わっていきました。
実際には、ピンクの部分のお肉が伸びるとゴミが入るスペースもなく、逆に衛生的だったんです。
スクールが終わってネイルサロンに勤務するころには、立体的で美しい形の爪になっていました。
今思えば、そのときに感じた、「自分以外の人でも爪の形が変わるのでは?」という思いが、ネイルを掘り下げて学びたくなった原動力かもしれません。

有機溶剤中毒・化学物質過敏症

今でこそ、ネイルカラーなどの爪を飾るサービスは提供していませんが、ラメリックの初めの 10年間は、「付け爪なしで爪の形が変わる」というコンセプトのもと、ネイルカラーもしていました。
手先が器用で細かい作業が好きだった私はこの仕事にのめり込み、お客様の爪のお手入れが大好きで、やればやるほど、ネイルカラーの時間も増えていきました。

しかし、開業から 10年後の 2003年、突然、身体の異変に気付きました。

今まで使っていた化粧品がヒリヒリして使えなくなったり、今まで食べていたもので体調を崩したり、今まで着ていた化学繊維の服が、かゆみで着れなくなりました。
様々な病院で診察を受け、精密検査をしてもらいました。
しかし、原因は一向に分からず、頭痛、目まい、息苦しさ…と症状が日に日にひどくなっていきました。
ある時、北里大学病院のことをお客様が教えてくださり、診察と精密検査を受けると、「化学物質過敏症」と診断されました。
聞いたこともない病名でした。
(あとで知ったことなのですが、シックハウス症候群を繰り返した人が行き着くのが化学物質過敏症ということでした。)
私が毎日塗っていたネイルカラー、ベースコート、トップコートの中に、合成樹脂を液状に溶かす有機溶剤が入っていたのです。
それが揮発して私の口や鼻を通じて肺に入り、肺から酸素などと一緒に血液に取り込まれて全身に廻り、私の身体はじわじわとむしばまれていたのです。
私の身体は次第に免疫が機能しなくなり、口の中や鼻の中、体中の粘膜という粘膜から、頻繁に出血しました。
右目の奥もひどく痛み、視神経が麻痺して目の上下運動が出来なくなっていました。
有機溶剤の中毒になると、神経細胞が変質し、さらに進むと免疫機能も低下するということを医師から告げられました。
死を覚悟して仕事を続けるか、仕事を辞めるか…健康を失った私に選択肢はありませんでした。
今まで積み上げてきた技術を捨て、今まで自分を応援してきてくれたお客様とお別れしなければならないことが分かり、私の心はズタズタに切り裂かれました。
そして、医師の「完治した人を見たことがない」という言葉に、私は、絶望しました。
しかし、完治とまではいかなくても、「今よりは回復するかもしれない。」
そういう楽観的な思いも少しはあったように思います。
でも、夜、お風呂に入っていると、自然と涙が出てきました。
「今まで自分がしてきたことを全部捨てて、通ってくれたお客様とお別れすることが、こんなにも辛いんだ…」
そう自覚できるほど大量の涙があふれてきました。
翌日も、その翌日も…

お客様とのお別れ

結局、4日間、泣き明かしました。
すると、今まで考えもしなかったような「ひらめき」が、突然、降ってきました。
『先のことは考えずに、カラーリングを辞めてお手入れだけを続けてみよう』
2003年 8月 8日、最初に来た親子のお客様にそのことをお伝えすると、お二人は快く爪のお手入れだけを受けてくださいました。
その日、すべてのお客様に電話し、お詫びしました。

  • ネイルカラーやコート剤ができない身体になったこと
  • 有機溶剤のリスクを知らず、強力な換気設備なしで施術してきたこと
  • 今後は手足の爪のお手入れサービスだけをさせていただくこと

そういったことを、お1人お1人にお話ししました。
「知らずに施術してきたことを心からお詫びしよう」
電話で話せば話すほど、私の身体に起こった事実をお知らせしなければと、いてもたってもいられない気持ちになりました。
カラーを目的に来店されていた方は全て去り、それ以外のお客様だけが残りました。
スタッフも全員入れ替わり、お手入れだけを続ける日々が続いて行きました。

病気から生まれた育爪(ikuzume)

育爪オイル

ある日、気付いたら、カラーやベースコートをしていたときにあったトラブル……縦すじ、色素沈着、くすみ、乾燥爪、二枚爪、表面の亀裂…
それら全てがなくなり、私自身の爪も、生まれ変わったように美しくなっていました。
弾力とツヤがあり、白い部分が透明になった、自爪クリアネイルの誕生でした。

爪が丈夫になるようなお手入れ…

育爪ハンドケア
  • 低温で圧搾した100%植物性オイルを使う
  • 爪の裏からオイルを塗る
  • 爪切りでなく紙製の爪やすりを使う
  • 手袋をつけて作業をする
  • 爪を当てない指の使い方をする

これらを徹底していくことで、どんな爪でも、丈夫で健康な美しい爪になっていきました。

この事実をたくさんの人に伝えることが、ネイルケアの選択肢を広げ、結果的には私のような病気になる人も減らすことができるのでは…と感じました。
病気から 3年ほど経って、育爪は生まれました。
「カラーリングもコーティングもなしで、素の爪を綺麗にできるネイルケアを広めたい」
そのメソッドに後から名前をつけたのが爪を育てるという意味の「育爪」(ikuzume)です。
化学物質過敏症と診断されてから17年以上経った今では、食べ物や生活習慣を変え、効果があると思われるありとあらゆることを試して、体調も改善してきています。
今となっては、化学物質過敏症になったお陰で「育爪」が誕生したので、病気にとても感謝しています。
あんなに苦しい体験をさせられた「化学物質過敏症」は、今では私の一生のお友達です。

しまだ みつえ

植物性のオイルを選んだ理由

育爪オイル

育爪にとって最も重要なオイル。開業当初は動物性のものも使っていましたが、植物性に変えたのもまた化学物質過敏症になったのがきっかけです。症状がひどい時には、駅ビルや電車の中に漂う化粧品や芳香剤、建築現場の近くに舞う塗料や接着剤に含まれる化学物質で息苦しさをおぼえるようになりました。そんな時に助けられたのが公園や道ばたの緑。木の茂みに避難してしばらくすると、呼吸はすーっと楽になりました。 「空気をキレイにしてくれる木や緑をもっと増やしたい」 そんな思いが湧きあがりオイルも植物性にしようと決めたのです。